秋の終わりに


 カサリ、
 音をたてたのは、足元の枯葉だけだと思っていたのに。

 風も冷たい秋の夕暮れ、駐車場の端っこに溜まった落ち葉の傍らに、黒いコートに紅い羽を持つ吸血鬼が立っていた。
「あー!ユーリさん!?どこにいたんスか、大変なんスよ!!」
迫る冬へ向けてクリーニングに出していたものを、おろしたばかりの黒のコートの裾と、ファーが秋風に揺れる。 そのコートをクリーニングに出した張本人であるアッシュは、 TV局を一周して戻って来たスタート地点に捜索対象である人物を発見して、その鮮やかな黒と紅に一瞬だけ見惚れた。 そして短くため息をついて思うのだ、こういう自分の空回りと徒労はもう何度目になるのかなぁ…。
「…何だ騒々しい。」
「スタッフから聞いたッスか!?機材車、」
「……事故、か?」
「いえ、その……そうじゃなくて……。誰かに、荒らされたらしくて…積んでた荷物とか、全滅って……。」
言いにくいのか声はだんだん小さくなり、最後にチラリとユーリを見た時にはアッシュの方が長身のはずなのに、 何故か上目遣いだった。
 ここのところ急成長を遂げている人気バンド、となると様々な人々の様々な注目を集め、様々な思惑の的となる。 その想いとやらは大概が善いもの、つまり好意であるが、時にこうして悪意を向けられることもあるのだ。 有能なスタッフとメンバーの計らいでこれまで若いアッシュには知らされていなかっただけで、 このようなトラブルは既に2、3件ユーリの耳に届いていた。今日の事態も恐らくその類なのだろう。 スケジュールに支障をきたすので不快なことに変わりないが、 いちいちビビってみせる人の好いドラムスにもユーリは少々呆れていた。 その両方に対してため息を吐くと、眉間に深く皺を刻んだままフワリと浮いた。 彼が羽を使うと風が起こって落ち葉が舞った。

「ちょ、何処行くんスか!?」
「現場を見ないことには始まらないだろう。」
「ま、待って下さい…っ!あ、そっちじゃなくて左です…、」
「スタッフ口の方か。」
「ッス!」
 アッシュは躊躇いもなくずんずん飛んで行くユーリの背中を追い掛けながら、 嫌がらせ程度では揺らがない、相変わらず太い神経もとい、頼りになるリーダーだなぁと思っていた。
「先に行っているぞ。」
「置いてかねぇでくれッス!ここの駐車場天井低いから、飛ぶと危ないッスよー、」
「低空飛行という言葉を知らんのか。」
「んな、こと言って、他の人に当たったら、」
「と、言っている間に着いてしまったぞ。余計なお世話だったな。」
言いながら吸血鬼は黒のコートを翻らせて、優雅に地面に降り立った。 アッシュがユーリと出会ってから、初めての秋が終わる頃だった。



 初めて会った時、「料理のできるバンドメンバー募集」の、 今思えばあまりにあんまりな募集要項の張り紙を手にしてユーリの城で。 その姿を見た瞬間、あまりに綺麗なので然るべきところに居たら相当の値がつくだろうなどと、下衆なことを考えた。 言いようのない感情がどろりと押し寄せて、一瞬、何もかもを投げうってどんな罪をも犯して、 それでも何かを手に入れたくなる者の気持ちが理解できた。頂点に君臨する者特有の、 何も恐れぬ赤い瞳と目が合って、畏怖の念と共に相反する支配欲のようなものが心の中を駆け巡った。 頭に血が昇って牙が疼いた。ような気がした。
 それはユーリが口を開くまでの、それこそまばたきに相当するくらいの本当に一瞬のことで。 一度しゃべりだしたら初対面で耳を疑うような悪口だった。
 お陰で芽生えそうだった何かの芽は、種が存在したことすら認識されることなく綺麗さっぱりかき消され、 美麗我儘実力派リーダーと、料理の腕を買われた実直モラリストなドラマーは、 正しい(と言えるかどうかは謎だが)人間関係、もとい妖怪関係を築いていくこととなる。 ユーリのその尊大さは容姿に余りあって、アッシュがギャップに苦しめられるに充分だったし、 アッシュの世話焼き気質はついにユーリすら妥協させた。バンドメンバー同士として、彼らは随分仲良くなった。 はずだった。



 惨憺たる機材車内を目の当たりにして、狼男はしゅん、と耳を垂れた。 が、吸血鬼はやはり平然とした顔のままスタッフと交渉を続けている。 結局、今日の撮影は順延になった。ユーリの眉間に寄った深い皺を見て、アッシュはあわわわわ…と呟いた。 スケジュールが押して良いことなど何一つ無い、ということを彼らは理解しているのだ。 仕方なく、二人連れ立って、歩いて駐車場へ引き返した。
 風が吹く。ユーリのおろしたての黒いコートが揺れる。 黒を好む彼の、背中に映える紅い羽をアッシュはいつも見つめていた。 だからそれが気分によってどのように動くか、例えばイラついている時はピリッと震えて威嚇するように少し上を向くことや、 逆に落込んでいる時は弱々しく垂れ下がることも、知っていた。 それから観察すると、男性にしては細い首、薄い肩、繊細な指先、象牙のように白い肌。 駐車場に弱々しい最後の夕陽が差しこんでいて冷たさを増した風がまた、通り過ぎた。
 空白の前に立ち尽くす彼は、とても頼りなく思えて。 その細い首に、自分が少し力を入れたら簡単に折れそうだとか、 その薄い肩に、両腕を使えばきっとすっかり抱けるだろうだとか、あの指に自分の指をからめたらとか、 あの白い肌に朱を浮かび上がらせたらとか、そんな考えが無意識に浮かんでいて。
 ああ、意外とこの人は。本当に、今まで全く気付かなかったけれど。
 相手が歩みを止めたので佇んでいる様子を見てもその、細い首に薄い肩に繊細な指先に、象牙のように白い肌に。 頼りなさと儚さを感じた時には、もう。

 冷たい風が通り過ぎて、彼に向かって思わず手を伸ばしている自分に気がついた。




「…何の用だ?」

 …本当に、俺何してんの!?

 振り返られて真紅の瞳に訊ねられて、アッシュは一体何をしようとしていたかを見失う。 今、これは、何をしようとしていた?ユーリに?ユーリに向けて、手を伸ばして?どうするつもりだったんだ?
 無意識に移された行動に、気がついた時に無意識を意識する。 己の考えていたことを自覚して、早速思考が混乱して軋む。かろうじて触れる寸前で止まっていた手を、引っ込めた。
 俺、今、何考えてた!? ユーリなのに……最強で吸血鬼で我侭でいつもムカつくくらい自信に満ちてて揺らがないリーダーなのに……。

 佇む姿が頼りなく見えた。風に吹かれる様が儚く見えた。

「うわぁぁ…!」
その場にしゃがみこんで、熱を持つ獣耳を隠すように頭を抱えた。挙動の不審な狼男に、
「…腹でも痛いのか。」
彼がかけた声すら愛しかった。

「スンマセン何でも無いんス!な、何でも無いんス!!!」
耳の後ろあたりからカーッと血がのぼって、奇行を指摘されそうになったことに対する以外に、 鼓動がドキドキと、異常に激しく脈打った。 とにかくヤバいので思いっきり目を逸らして下を向いていたけれども、鼓動は早くなっていくばかりだった。

 自覚という名の風が心の中を駆けていく。
 カサリ、カサリと音をたてて駆け抜ける、それは紛れもない恋だった。

 俺は男であの人も男で、今は何よりも大切にしたい仕事仲間、バンドのメンバーで。 それに相手は魔物最強の吸血鬼、対する俺がしがない狼男じゃ勝負は見えている。 第一何で、こんな我儘で面倒臭い人をわざわざ。
 頭を抱えた腕の隙間から、ちらりと視線を当人に向けると、挙動不審のドラムスに愛想が尽きたようで、 変な奴だ、と言ったきり涼しい顔でユーリは迎えの車を待っていた。 ただ佇んでいるだけなのに。でも、そう、彼以上に綺麗だと思える人は、他にない。 これまでも、そしてきっとこれから先も。 何よりアッシュは知っていたのだ、彼の首が折れそうな程細いことも、彼の肩が抱きしめられる程薄いことも。 今、気付いただけで、ずっと知っていた。 あの伸ばした手の続きにあの細い肩を抱きすくめたいし、あの繊細な指に自分のそれを絡めてみたいし、 白い肌に噛み付いてみたいし、彼とキスもしたいしセックスもしたい。
 自分の衝動が自分で信じられずに、だってあのユーリだよ!?と考えてみるも、 もうやっぱり、頭に血はのぼるし心臓はドキドキいっているので、 一人しゃがみこみ頭を抱えて欲の自覚と恋心へのツッコミと焦りのエンドレスループを、延々繰り返していた。 できることなら、全てが深い秋の風が見せる幻影であれ、と祈りながら。









「初期のアスユリ」…リクエストありがとうございました。
この自覚する瞬間が、ずっと書きたくて随分前から秋の終わりだ!と決めていたのですが、
納得のいくものにはなかなか成りません。
アスユリ初期に書いた「満月吸血」という小説の中から、ワンフレーズ持ってきてみました。非常に懐かしい…!
07.11.22.

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