A pleasant coffee shop *




 どんなに酷く落ち着かない野郎だって、堅苦しくなりすぎない白いシャツを着て黒のエプロンをキメて、 お洒落なカフェのカウンターに立てば、普段より二割増しで格好良く見える。 ましてやKKみたいな奴が伏せていた目をあげて、グラスを拭く手を休め、 あの低く優しい声で「いらっしゃいませ」なんて物腰柔らかにお辞儀して迎えてくれようものなら。

 「…大丈夫ですかお客様。」
 俺はそこがとてもとても静かで落ち着いた雰囲気の店だと判っていたが、 ドアの段差か机か看板か、とにかく何かにつまづいてすっ転んだ。しかも派手に音をたてて、だ。
 小さな木のドアが品の良い音を立てて、その素敵な店員さんはカウンターから出て此方に近付いて来た。 ご丁寧に散乱した荷物まで拾って下さる。
「カウンターのお席と奥のお席がございますが。」
「カ、カウンターで…。」
「ご案内します。」
 ああもう、誰だよ俺の隣に立ってるこの男は!!ああ!?Kなのか!?ホントにこいつはKKか!? 昨夜、部屋の隅っこで胡坐かきながらビール片手にナイター中継観て、欠伸しながら足の爪切ってた人と同一人物ですか!!! 心臓に悪いからあんま格好つけないでくれ頼むよ!!!
 先を歩く店員さんにカバンを持たれ、手持ちぶさたで仕方なく自分のシャツの裾あたりを握る。 皺になるからこの癖いい加減直さなきゃいけないと思いつつも、何か掴んでないと落ち着かない。 すました顔のKはカウンターの一番端の椅子をひいてくれて、ああもう女性客じゃないんだからそんなサービスしてくれなくてもいいのに…。
 俺が座るのを待って荷物を置く仕草もメニューを差し出す腕も「お決まりになりましたらお呼び下さい」の声も、 そのひとつひとつが全て計算し尽くされているかのよう。キィ、とフロアとバーを隔てる木のドアが、 背の高いKの腰より少し低めの位置に押され、耳に心地よく軋む。
 とりあえず目の前に置かれたお冷やを一口。冷えたグラスから飲んだ水の、 爽やかな檸檬の味を感じてようやく落ち着いて周りを見渡す余裕が出来た。
 木目のくっきりとした濃い茶のカウンター、オフホワイトに塗装された壁、 優しい色のテーブルとチェア、奥にはやや低めのソファ席。 深緑色の店のロゴと観葉植物が、在るべき所に配置されている。 こだわりコーヒーを香りから楽しんでもらうためか、全席禁煙なのはス●ーバックスと一緒だなぁ、 でもアメリカ生まれのチェーン店とは雰囲気が全然違う。 落ち着いた雰囲気の内装には非の打ち所が無い。
 KKの通常バイト先であるいつものカフェとも全然違う。 飴玉を散りばめたようなカラフルさとフルーティなデザートの代わりに、コーヒー豆独特の、 ほろ苦くも上質な香りに満たされた由緒正しき喫茶店。お洒落の質が違う。
 そこまで眺めて、ようやく案内された席の利点に気付いた。 カウンター席の特権、店員の手元を間近に観察できるだけでなく、この席は店員がフロアに出る度に真横を通るから、 他の客に気付かれずにちょっかいをかけやすいのだろう。 ここぞとばかりに俺はKを観察して……他のテーブルのオーダーを取ってフロアから返って来るところで目が合った。
 「…お前ぇにゃメニューはいらんかったな。」
あ、失礼しちゃうなーもー。と、思いつつ、
「カプチーノおひとつで?」
「カプチーノおひとつで。」
今月の財布の中身の残りまで知られている奴に見栄なんて張れる筈もなく。
「かしこまりましたー。」
苦笑と共にメニューを引かれた。

 Kの手元を眺めながら、一杯ずつのハンド・ドリップで注がれていくコーヒーは、丁寧に紡がれる音楽に似てると思った。 鼻腔を満たすコーヒーの香りに目を瞑る。 あーいいなぁ、KKが居なくてもハマりそうだこの店。ノーチェックだったのが非常に悔しい、俺としたことが。
 「お待たせしました。」
 白い泡の上に、少し歪んではいるけれどドクロマークが描かれたカプチーノ、ほんっとに器用なんだから。 それともうひとつ、目の前に置かれた一枚の皿に、質素で上品なたたずまいのチーズケーキが乗っていた。 え?と見やると、KKは密やかに片目を瞑って微笑んだだけで何事もなかったかのように立ち去ってしまった。 え、これってサービスですか、その外国映画のワンシーンみたいなウィンクもサービスですか。 まるで自分までその映画の登場人物になったような錯覚、やだな照れるじゃん俺って割と庶民派なのよ?
 ぎこちなくフォークをつかんで食べたチーズケーキは、嘘みたいに優しい味だった。






 持って来た雑誌を読みながら、飽きもせず俺はKKを眺めていた。 熱烈な視線を流石に居心地悪く感じたらしいウェイターは、見物料取るぞなんて咎めたけど知ったこっちゃない。 目の保養を一年分くらい貯める勢いなのだ。
 ソファ席の女性グループだってさっきから何度もKKのことチラチラ盗み見て、コソコソ言い合って、クスクス笑ってる。 頬をうっすら染めちゃったりして、あーあ、女の子って可愛いなぁ……。 浮かんだ嫉妬にもなりきれないつまらない感情と共に、底の方に残っていたカプチーノの泡をすすった。 何だか、仕事中の俺を見てKが拗ねる気持ちも判ってしまった。これじゃ、立場が逆じゃないか。

「ウェイターさーん。」
「ぁんだよお客様。」
「お水おかわり。」
「…ハイ喜んでー。」
「店が違う店が違う。」
 こぽこぽこぽ、見本から取り出した様な綺麗な音をたてて、程よく空気を含んだ水がピッチャーから注がれる。 グラスを置く際は小指でワンクッションおいて、余計な音がたつのを防ぐことも忘れない。 ねぇ、自宅のテーブルでコーヒーカップ欠いたの、誰だっけ。
「お。ラスト・オーダーのお時間ですが、他にご注文はゴザイマセンか、お客様。」
壁の時計を振り返ってそう言うアンタに、
「じゃあ、」
こう答えるのは余りにありきたりすぎるだろうか。

「貴方を、テイクアウトで。」

 ばちこーん☆と、星を飛ばしてウィンクしたら、入れたばかりでなみなみと水の残るお冷やのグラスを笑顔で頭の上に傾けられて。
「ご一緒に水もしたたるカリスマ美容師は如何ですかー。」
「わーやめてやめてっ、きゃ〜!この店員さん恐ぁい!水被るのは掃除屋さんの専売特許だろ!」
 客が少なくなったのをいいことにじゃれ合って、素敵なカフェもまもなく閉店のお時間です。またのお越しをお待ちしております。







春から書いてて…どうにも仕上がらないから放置して、没かなぁ…と思っていた頃に。
大阪のオンリーで突発小説本出そうと思い立って、日程的に入れられそうなのがこれだったから大慌てで形にした。
本に載せた時は前後編で、何気に本として纏めるのに重要な役割を果たしてくれた話でした。
KK褒めちぎりすぎで恥ずかしいです。
因みに大学近くのカフェが一応モデルになってます…小さなお店ですが。店員にヒゲの兄ちゃんがいます。
05.11.27



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