めのひ



 オレンジ色の髪はいつもの光沢も鮮やかさも失って雨に濡れそぼった小動物を連想させた。

「兄貴っ!?何してんだよこんな雨ん中…!」
「サイバーぁ…」
「うおっ兄貴、涙と鼻水で顔ぐちゃぐちゃっ」
「ど…どうしよ…無く…っうぅ…」
「わー!!泣くな兄貴ーぃいっ!!!何、いじめ!?泥棒!?ストーカー!?」
「ゆ、指輪、無くな…っぅっく…。」

 サイバーの大好きな兄の手に、砂利の混じった泥がこびりついていた。 只でさえ長い足が更に長く見える細身のズボンも、地面に膝をついたのか色が変わってしまっていた。

「とにかく家ん中に入ろーぜ。びしょ濡れで、」
「駄目だ!」
「…へ?何で?」
「今…見つけなきゃ…絶対見つけなきゃっ」

 鞄も傘もびしょ濡れの学校帰り、サイバーを迎えたのは、 居間で待っているおやつではなく、家の前で途方に暮れる兄だった。
 この家には誰にも侵せない不問律がある。
 マコトの涙を見たサイバーは、何者も止めてはいけないということ。



「はぁ…何、つまりおっさんに貰った指輪がウチの前んとこで指からすり抜けて、どっかに転がったの?」
「まぁ、そゆこと…。」
 弟に引きずり込まれた玄関で、いくらか冷静さを取り戻したマコトは鼻をすする。 サイバーはべしゃべしゃと音がする鞄を玄関先に放り投げ、どうすべきか考えてた。
「そりゃぁ…。」
玄関を先に上がって振り向くと、見上げてくる兄の目の赤さが胸を打った。
「ヒーローの出番だな!」
 サイバーは心を決めると、勢いこんで傘立てに突っ込んだばかりの傘の柄を握った。 弟の返答と唐突な行動に驚いたマコトが、ようやく兄らしくなり慌てて制止の声をかける。
「…き、着替えて、来なくて、いいの?ヒーロー。」
「うぉおしまった…兄貴ちょっと待ってて!」
「ヒーロースーツは汚れるから普通の服の方が、」
「甘い甘い、特製スーツ防水カコーだぜ?」
 自分がいれば兄が冷静になると、知ってか知らずかヒーローははずみをつけて階段を上がった。 マコトも玄関を上がると、階段の途中で脱ぎ捨てられた制服を拾う。 ひとつため息をつくと廊下を抜けて洗面所へと向かった。



「サイバー…もういいよ?暗くなってきちゃったし…。」
 サイバーは黄色い雨合羽のフードから兄を振り返る。 しとしとしと…と、雨は強くなる気配は無かったが、そのかわりちっとも止む気配も見せなかった。 もともと暮れていた空は、地上の光を照り返して発光する灰色の雲が、不気味さを作り出していた。 そろそろ空腹も限界を訴え始める頃だろう。
「お前は家に入んな?」
 困ったような笑顔を見せて、マコトは滴る水を払った。 半透明の白い雨合羽姿の兄はお世辞にも格好いいとは言えなかったが、 タオルで適当に拭いただけの髪が流れる様は「水も滴るいい男」の見本みたいだなぁ、とサイバーには思えた。

 きっとあのオッサンは、雨の中不恰好に立ち尽くす、こんな兄貴の姿は知らないし、 情けないこんな兄貴の表情を近くで見たことないだろう。多分。
 全部全部、俺だけの特権。

 だからと言って、何故自分が兄の恋人の為に苦労してるのだろうか、と考える出すと、腹が立つのは確かだった。 しかし。 不問律はサイバーの中で最も重要な所に位置していて、簡単に破れるものではなかったし、破る気もさらさら無かった。

「やだね。確かに俺はオッサンのことはムカつくしー嫌いだしーだってアイツ兄貴のこと泣かすし。 だけどさ、例えオッサンから貰ったもんでも兄貴の大事なもんが見つかんないまんまで、兄貴が泣いてるのはもっと嫌だ。」
「サイバー。」
「てゆーかさ、もうすぐ見つかるぜ、何たってヒーローが味方についてんだからな。」
「…ありがとう。」

 そういえば、兄は恋愛ごとで浮かれてフワフワすることはあっても、こんなに取り乱す相手というのは、 今まで現れなかったのではないだろうか。 元から浮き沈みの激しい性格だけれど。サイバーは指輪を探しながら考えて、

「兄ちゃん、KKのことそんなに好きなの?」

 と、何度か聞こうとしたが寸前でやめてしまった。



 探し始めてたっぷり2時間後、歓喜の声と共に指輪は玄関先のタイルの溝の中から見つかった。 心配そうに玄関の扉を開けたパルにタオルを貰って、マコトはサイバーを振り返る。 「ありがとう、な。」と言って照れくさそうに、今夜は一緒に風呂入ろうか、などと笑った。

 タコでタバコでボンクラなヒゲのオッサンには、絶対絶対知り得ない兄貴を、俺は知っている(もちろん一緒に風呂にも入ったゼ)。 今日の雨でもし兄貴が明日風邪をひいても、オッサンには絶対看病させてやらないし、 今日指輪が無くなって兄貴が泣いていたことも、教えてやらない。

 今夜遅く、KKが電話をしてきて今日はどんな日だったなどと聞いても、 マコトはきっと別にーいつも通りだよーと軽やかに言い切るだろう。 その時、部屋の壁に耳を貼り付けてそっと聞き耳を立てているサイバーは、 家の前で泣きべそをかきながら、取り乱して指輪を探していた兄を思い出しながら、 それを決して知り得ないKKを思って「バーカバーカ」と小さく呟き続けるのだ。
 そして兄に染めてもらった発色の良い水色の髪をかき回しながらベッドに入って、 兄が泣くことなくKKと仲良くできる日が、早く来るといいなぁと祈る。
 憎たらしい無精髭のオヤジを、「バーカバーカ」と呪いながら。








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兄貴、取り乱しすぎだ…っ!!(ツッコミ

アンケート御礼リクエストより「サイバー」です。
サイバは日記絵で描いてしまったのですが…リクエストはサイバーを「書いて」ほしいとのことでしたので、一応文章をば。
随分前から考えてはいたのですが…こういうのはなかなかうまく書けませんねぇ…。修行修行。

一生教えてやらん、とか心に誓っているサイバー少年ですが、
ある日KKが凹んで弱っているところに遭遇したら、ころっと教えてやって、元気付けてやるといいですよ。ね?(聞くな!
05.06.03


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