A full of moonlight,full of night

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空は暗くて、月は明るくて、数時間待てば朝が訪れるはずの夜だった。

なのに。

視界の全てが赤く染まっている。そんな気がした。




 いつもの満月と何も変わらないはずなのに、身体も心もバランスを失って勝手に走り出している。
 力任せに殴りつけた城壁が崩れた。パラパラと、白い煙が舞う。その白さえも、赤く濁って見える。

 「―――…。」
アッシユは仰いだ空から目を反らして、深く息を吐いた。

だめだ。
今日はとてもそんな気分じゃない。

 せっかくの満月なのに。いつもならば、もう獣の姿になって城周辺の森を駆けている時間。 一月の中で自分が一番自分らしくあれる夜。
 月の満ち欠けに惑わされる者が故に味わえる、解放感と言い知れない高揚感。 例え獣の姿にならない日でも、一晩中馬鹿みたいに騒いだり、ドラムを叩いたり、活発に動き回って決して早々眠ったりしない夜。 否、正確には、そうなるように努めてきた、夜。

 「コントロールできてるつもりだったんだけどなぁ…。」
情けない声で一人ごちる。聞き止める者はいない。
 満月は狼男に力を与えるけど、代わりに理性を奪っていくから。 子供の頃は、記憶が飛ぶ程、力に振り回された事もあったのだが。 事がはしゃぎすぎ程度で済む様に努めてきたのだ。昔から。
 でも、どうしようもない夜もたまにはあって。 獣にもなれない、かと言って理性を保てる自信もない。そんな夜が。




 「―――…。」
今夜何度目かの深いため息。 結局獣化は諦めて、満月に背を向け暗い廊下を引き返す。 城の住人達に出会さないよう気配を探りつつ歩く。部屋に帰ってまず、カーテンを閉めた。
 窓に映った自分の髪が、赤かった。






 自室のベッドに腰掛けて、きつく目を閉じる。
 ザワザワ。血が騒ぐ。ドクドクと、耳元で脈打つ音が五月蝿くて、もうとにかく早く眠ってしまいたかった。容易にできないと判ってはいたが。

 封じ込められている力が、解放を求めて体の内からアッシュを責める。
「―――っ!」
歯を食いしばって遣り過ごす。
 空気はピンと張っていて、耳鳴りがした。 人間の姿は満月の夜を感じるには、あまりに敏感すぎる。
 そのままじっと、吐き気がする程に動かないでいた。





































ピクリ。


耳が、遠い足音を拾う。
部屋に近付くのが誰かなんて、気配だけで充分判る。




 「や。」
「それ以上入って来んな。」
「こっわい顔ー。今日はまだ喋れるんじゃない。髪は赤くなっちゃってるけどー。」
「スマイル。」
にこり、とスマイルは笑う。
「ユーリの所には行かないの?」

その名を聞くだけで、腹の底に深く突き刺さる衝撃。





ユーリ…。


























「…っは……!」

ボフッ。

飛びかけた意識を留めるために手近の物を殴りつたら、それは枕で。
破れたカバーから吐き出された白い羽が、音も無く宙を舞った。
その、霞む視界の向こうでスマイルが笑う。

 「ヒヒヒ…そんなに無理しなくても、獣の君も君デショ?ユーリだって待ってると思うけど?」
スマイルは白い羽を分けて部屋に入って来た。
「なんで…」
「ん?」
「いや…何でもね……ッス。いいから俺に近付かないで。」
耳を塞いで目を閉じる。

「受け入れちゃえば楽になれるのにぃ♪」
「あんたにはわかんねんだよ…。」
自分が制御できなくなることの恐ろしさが。

「ふ〜ん…。」
意地の悪そうな笑みを含んだ声。
つ、とスマイルの手が顔に触れようと差し出される。
気配を感じて顔をあげ、勢いよくのけぞった。

ばしっ。
痛い音がする。

「あイタ。…ひどいなー天才ベーシストの手を何だと思ってるのさー。」
のけぞった拍子にスマイルの手をはたいていた。その程度で済んで良かったと思う。

「スマイル!!」
怒鳴ったつもりの声はなんだか叫び声のようで。
きっと自分は今、恐ろしく情けない面をしているのだろう。


くすくすくす。


笑い声に支配されているような錯覚。
自分の中で何かが狂っていきそうだった。

狂っていた、すでに少し。

声が、出なくなりそうだ。

 「最近忙しかったから、ユーリの肌が恋しいんでないの?」
笑いながらスマイルはベッドに腰掛けた。
「そんな、利用するみたいなの…嫌ッス…何するか判ったもんじゃねえ…。」
「不便だねぇ…」

肌が、不穏な空気を感じ取る。
横にいるスマイルの顔を、初めてちゃんと見た。
笑っていた。
いつものように。

いつものように?


「ヒヒヒ、じゃあ僕が慰めてあげよっか?試してみる?」


衝撃が走った。いつもの、戯れから出た言葉かも知れないのに。
いつの間にか間近にある包帯顔。

「俺が…誰でもいいような…そんな、いい加減な奴に見えんのか…」
何とか出た声は、酷く掠れていて。

「全然。」
至近距離のスマイルの顔は平然と言う。

「でもさ、今夜は…どうカナ?」
近づく青い肌。
完全に見えたのはそこまでで。赤く霞んだ視界が揺らぐ。




 「わっ…!!」
声に気付くと、スマイルを押し倒していた。さっきまで横にあった顔が真下にあって。

生暖かい肌に触れた。
温もり。
血の通う温度。

今にも事切れそうな理性が叫ぶ。
俺は今何をしてる?

…誰か止めて。


大切な人を手にかけてしまう。
大切な人を泣かせてしまう。


「遠慮しないでイイヨ。君になら、何をされても構わないんだカラ。」
僕も寂しいんだヨってことでさ、と囁かれて更に肌を寄せられる。




自分の心臓の音が五月蝿かった。
視界は赤く霞んでいた。





























「――――!!!!」

吠えた、のだと思う。目の前にいたスマイルが耳を押さえていたから。

耳鳴りが止むのも待たずに部屋を飛び出した。途端にめまいを覚えて廊下に座りこむ。
自分の全てが無様だった。

弱っているのだ。満月の夜だというのに。
満ちる力を無理に留めているから。自分は獣の癖に理性を捨てきれないから。

解放すればそれはドラッグにも似ていて。無理に留めればそれは毒となり。自家中毒を引き起こす。










 「五月蝿いぞ。」
突然投げられた、声。

ビクリ。
存在を感じただけで全身が震えた。
あの人がいる。近くにいる。それだけで。

…ユーリ。
その、愛しいはずの存在の名を呟く。
祈るように目を閉じた。どうしてこんなにも苦しいのか。




 「何をしている。」
冷たい声だった。いつもの、ユーリの。
その人は座りこんでいる自分にゆっくりと近付く。

 「何だその無様な姿は。貴様、いつまで野生動物のつもりでいるのだ。」
熱にうかされたような頭に心地よく響くはずの冷たい声も、もはや遠のいたり近付いたりしている。
それでもユーリの、冷たい声が好きだった。

 「飼い慣らされた獣の癖に野獣を気取るな。愚か者、貴様の野性など取るに足らん。」
なのに。貴方は優しい声で笑うんだ。

「心配せずとも、」

フワリと髪に手が触れた。

「首輪も鎖もここにある。」

クシャリと赤い髪が混ぜられた。

「だから、私の為に我慢などしてくれるな。」

貴方の為じゃありません。自分が恐くて。恐くて。
絶望の淵で目覚めるのはもう嫌だから。

そう言ってあげようと思ったが、既に口は言葉を忘れたらしく。ただ思い出せるのは名前だけで、最後の抵抗の意を含めて呼ぶつもりだった。


「ユ、」
塞がれて、深く深くくちづけられた。甘く、強く、その存在を刻んだ。




「おいで。大丈夫だから。」


絶望の淵で目覚めるのはもう嫌だった。

気付いた時、そこに大切な人が変わらずいてくれることを、





願った。
































































































 「寂しいのさ、満月の夜に弾かれちゃったから。きっと温もりが欲しかったんだよ。」
僕って詩人〜などと宣いながら、スマイルが笑った。 白く、浄化された空気が広がっていく。

 吸血鬼の膝の上で、獣は丸くなって眠っていた。すっかり安心したのか、ぐっすりと眠る犬。

 「温もりか」
こいつの方が余程温かい、と思いながらユーリは毛並を楽しむように獣を撫でた。
「まったく…あの程度で怯えるとは…。早く、少し攻撃性に富んだ満月の自分くらい、余裕を持って楽しめるようになってくれればな。」
「それは一生無理なんでない?」
君が相手じゃ。スマイルが言うと、ユーリはフンと鼻を鳴らした。
「少し位捨てるべきなのだ、理性など。大体コレは普段から魔性を忘れ過ぎだ。」
「ヒヒヒ、人間くさいもんねー。ユーリ様の大好きな♪」
「…優し過ぎるのだ。まったく毎回無茶をする。」
「同感ー☆」
 スマイルはアッシュの鼻をつついた。ユーリは耳を撫でていた。 一晩中緊張していたから、ようやく二人共眠くなってきた。




 唇の端が痛いから舐めてみたら怪我してる。いつの間についたんだろう。 錆っぽいから血の味って好きじゃないんだよね。ユーリったらこんなの毎回よく飲めるナァ。
 こんなに暴れたアッス君。でも僕の怪我はこれだけ。ユーリなんて無傷じゃない。 ねえ、君が心配するようなことは、何も起きなかったよ?
 スマイルはそんな事を考えていた。

「…でもそれも楽しいからいいじゃない。やっぱりアッシュ君は飽きないなー。」
「あまりアッシュをいじめるなよスマイル。」
ジロリとユーリに睨まれた。
「うーん…」

 それは君の方なんでない?あのタイミングであんなキス君にされたら、僕だって理性保てる自信無いよ。
 そう言ったら、どいつもこいつも…なーんて呟くユーリ。これは照れてるんだネ?


「寝るか。長い夜だったな。」
「ウン。ね、一緒に寝ようよー。」
「ふ…この私にリビングでザコ寝しろと?」
「じゃーアッシュ君貸して。」
「だめ。」




 結局ユーリのベッドで3人くっついて眠った。
川の字の真ん中に、満月に背いた狼男。
吸血鬼は狭苦しいのを堪えて、犬耳に頬を寄せる。
その様子を見ながら透明人間は、「第三者の僕がいて、役に立ったデショ?」と独りごちた。 それを掬って「役立つ立たないで側に置いている訳ではないよ馬鹿者。」と欠伸まじりにユーリは言う。



幸せな気持ちのまま眠りについた。


どんなに月の魔力に惑わされようとも、
彼らが絶望の淵で目覚める朝は当分来ない。















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スクロールお疲れ差で様です。Webならではのこれくらい大きな空白のある小説をやってみたかった…。ウザくてすみません。

月の魔力にスマもメロメロ。エロに挑戦しようとして失敗した作品です。
大暴れするアッシュの後頭部をユーリがビール瓶で殴るなんていうオチも考えていました。空白のスクロール部分。
…ウチのアッシュ君の理性は並大抵のものじゃないのだと、認識した作品でありました。




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