◇花火


 あらかた片付いたテーブルに残った、余った薬味をつついていたリーダーが聞く、お前は行かなくてよかったのか。
「そッスねー間に合うと思ってなかったんで。…今年は音だけ味わうッス。」
ボウルの水をシンクに捨てると、溶け残った氷がカランカランと涼しげな音をたてた。
「そういうユーリは、本当に浴衣だけでよかったんスか?」
「今日だと知らなくてな。」
 予定があるつもりで何の準備もしていなかった者と、何の予定も無かったのに今さっき知った者と。 前者が素麺をゆでている間にせめて雰囲気だけでもと、後者は引っ張り出してきた浴衣に着替えて (結局帯が結べないとかで夕飯を作り終えたアッシュが手を貸した時には、 袷の上下が左右逆だったので最初から着付けることになった)、二人たった今、夕飯を食べ終えたところだった。
 ふいに訪れた沈黙に遠く、虫の声が響いた。虫の声は一匹、また一匹と増えてゆき、一瞬の大合唱をして途切れた。 じっとりと流れる空気に耐えられなくなった方が口を開いた。

「…TV付けましょうか、中継始まりますよ。」
「なあ、アッシュ。」
TVのリモコンに伸ばした腕を途中でつかまれた。何でもないことだったのに、触れた肌の熱にアッシュは心底驚いていた。

「行こう。」

「は?」
 唐突に腕を引かれてベランダまで連れて行かれたかと思ったら、体が宙に浮いていた。 悲鳴を上げることもままならぬまま、耳のすぐ近くでビュンビュン風が鳴って、 止まったかと思い落ち着いて視界の焦点を合わせると、目の前いっぱいに広がるのは黒く煤けて本来の赤を失った煉瓦で。
「!?」
 顔を上げると、浴衣を来たユーリが涼しい顔でスッと立っていた。塔のてっぺんで。 どうやらユーリ城の中で一番高い塔のてっぺんで。アッシュは初めて来たナァ、 などと呑気に思っていた(そういえば内部からここへ行く階段はどうしても見つけられない、広い城だ)。 そうこうする内に嬉しそうなユーリの声が聞こえる。
「始まったぞ。」
 既に大きな影と化した山々の合間に、遠く遠く、しかし欠けることなくしっかりと丸く、打ち上げ花火が見える。 アッシュは名の通り、夜空に咲く火の花なのだナァ、などとまた呑気にその光を見ていた。 城の頂上のその塔には風がよく通って涼しかった。
 夏の夜は、これからだ。





◇海の家


「海で食べるラーメンってな、どうしてこんなに旨いのかね…。」
「アンタどこで食べても旨い旨い言ってんじゃん。」
 口いっぱいに残る潮の味も味わい尽くし、底が見えるまで汁を吸い終わったMr.KKは、満足してどんぶりを置いた。 一息ついてテーブルの隅にあった灰皿を引き寄せた。 羽織ったアロハシャツの胸ポケットから煙草とジッポライターを取り出す。
「吸っていい?」
「どーぞ。」
 煙草を吸うのに滅多に許可など求めて来ないはずのKKを決して見ずに (だからこそKKはこの居心地の悪さに許可など求めてみたのに他ならなかったのだが)、 今日一日で随分濃さの増した自分の腕を見ながらマコトは答えた。 掃除屋の吐く灰色の煙が、海の家から暮れかけた空へ逃げていく。
 マコトは、散々泳いで砂の城も作ってさっきまでビーチバレーに興じていた弟たちが、 今度は岩場を探検している様子を何気なく見守っていた。KKは沖をゆく船を眺めていた。
 潮騒は止むことがないので、二人に沈黙が訪れることはない。

「……このあとよぉ、」
 食後の一本を吸い終わって灰皿に押し付けるのと同時にKKは口を開いた。 勢いで連れて来たのはいいものの、自分は海の家の臨時アルバイト、 つまり遊びではなく仕事で行くんだという肝心なところが伝わっていなかった所為で、 相手にさせてしまった過剰な期待で、損ねてしまった機嫌と。 自分の目についただけでも計5組の女性グループに、マコトがお声を掛けられていたことで、 損ねてしまった自分の機嫌を、さてどう扱うか、とKKは口を開いた。
「あいつらは宿にぶちこんで、二人でビアガーデン行かねえか?……もちろんオーシャンビューよ。」

 潮騒は止むことがないので、二人に沈黙が訪れることはない。

「………………行く。」
 けど、宿にぶちこむだけじゃダメだよ、花火セットも与えてやらないと、 とカリスマ美容師はご機嫌な笑顔で言うのだった。 もちろん花火もビールもアンタの奢りでしょ?
 夏の夜は、これからだ。





「ねー花火行こうヨ花火〜メルヘン王国納涼花火大会。」
「ねー兄貴、盆休みどっか連れてってよー!海海、海がいい!なぁなぁ!」

「え…スンマセン、俺その日仕事入ってるッスよ。 何時に帰れるかわかんねぇし…ユーリと二人で行って来たらどうッスか?」
「うみぃ〜?寝呆けたこと言うなよサイバー、去年散々だったろ? 焼けるしナンパされるしお前は溺れるし (しかも今年は愛車のカスタムにボーナスの使い道を選んでしまった後なので財布的に痛いとは、 兄の面子にかけて言わないけど)。」

「(君がいないとあのユーリが乗り気で人混みに出掛けてくれるとは思えないし、 できれば僕も君と3人で出掛けたいと、素直に言うときっと真面目な君は非常に困った顔をするのだろう) え〜キャンセルしちゃいなよぅ仕事なんて〜!想像してごらんよ、屋台のソースの匂いとか、 お面付けて絶頂気分で笑う僕とか、人混みではぐれないようにちゃっかり手とかつないじゃってさ、 涼しい夜風が浴衣を着たユーリの首筋を通るヨ、ヒヒヒ…!ホントにいいのぅ〜?後悔するよぅ? 一生に一度の今年の夏だよぅ?」
「いいじゃん去年は去年、今年は今年だぜ!兄貴、高校生の成長っぷりナメちゃいけないぜ! 今年は大丈夫だーって!なぁなぁ、白い浜、光る波、俺と兄貴!…海行こうよ〜!連れて行ってよ〜!」

「うっ………駄目ッス駄目ッス駄ー目ーッスー!!仕事!俺、仕事!!!」
「(高校生にもなって「俺と兄貴」だなんてそんな駄々のこね方する奴の何処が成長したのか怪しいもんだが、 同じくらい愛しい)うぅう………あ、ちょい待てサイバー、電話だ。もしもし?」

「あっそ?ま、いいんだけどね、じゃあ僕はサイバー誘って遊びに行くからサァ〜!その日夕飯いらないヨ☆」
「(兄貴が自室に逃げて行った後ひたすら聞き耳をたてていると、 海とか車とか都合のいい単語がさっきまでとは打って変わった嬉しげな声に乗せて聞こえてきたので、 その声があまりに嬉しそうな響きを持っていたので、己の携帯電話を開いてメールを打って速攻で仲間に送信してやった。 「アニキ、海OKだって」!)」

…どうやら本当に、彼らの夏はこれから。


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