明け方、寄せていた温もりが身じろいで離れた気配に目を覚ました。 薄っすらと目を開けてみると自分を抱きかかえて微睡んでいたはずのKKが肘をつき起き上がろうとしている。 繕うことのない彼の表情はイコール無表情だったが、ボサボサの髪も不精な髭も昨日よりまた少し伸びていてマコトは何となく安心する。 そのまま息を殺して観察しているとやけに自分の呼吸の音が聞こえにくいことに気付く。
 マコトが目覚めていることに気付いていないのか、気付いていても気にしないのか、 KKが跳ね上げた毛布がマコトの顔面に墜ちて来て鼻を覆った。 ぼわん、とその覆いかぶさった柔らかいものの余韻が過ぎると、白い朝の底で轟々と小さな地鳴りのような音が聞こえた。
 おお、すげえ。上半身裸のままカーテンの隙間から窓の外を覗いてKKが呟いた声。 マコトの位置からはKKの背中だけが見えて、なにがすごいの、と言うつもりでふにゃむにゃ、と意味の無い寝惚けた呻き声を出した。 少しだけ得意そうにKKが肩をずらして視界をゆずる。 カーテンのシャッという鋭い音と、時間にしては明るすぎる曇天独特の光がマコトのゆるやかな時間を斬った。

「すげー風。」
二階のKK宅の寝室からは貧弱そうな木の枝が見える。 日当たりのせいか土が悪いのか、秋になると早々に葉を落としてしまったそれは細くて頼りなげで、 雨などふって濡れそぼった様子は本当に心配になる。 先日雪が降った時など積もるほどでもなかったのに枝が折れた。 そんな木が窓の外でこれでもかと風にあおられて限界までしなっているのが見えた。KKはもう一度、
「すげー風。」
と言った。どこか得意気な、あるいはワクワクしているのか、餓鬼くさい響きがあった。 すぐにまた風が吹く。窓ガラスが鳴る。細かな影が一瞬で通り過ぎる。マコトは今度ははっきりと、轟々と唸る音を聞いた。 遠くで何か軽いものがぶつかるような、弾けるような、裂けるようなそんな音も聞いた。



「マコ、卵どうする、」
キッチンから覗いたKKの表情は、今なら希望を聞いてやらないでもないと語っていた。 即答しなければまた目玉焼きなのだろう、マコトはTシャツに頭を突っ込みながら、
「スクランブルエッグー。」
と答えた。



 「ねえ、今日の仕事は?」
言いながらマコトはカプチーノを啜る。 昨夜から今までの様子や彼をとりまく空気の重量、仲介人からの最近の情報諸々を含めて、 この時のマコトは確信に近いものを得ていた、それでも。 それでもその地雷を踏むことがお互いにとって好くはないので、 カプチーノを啜ることで何気ない朝の会話の中に自然に混ぜたはずのその台詞は、気持ちのどこかが緊張していた。 最近のKKは益々何を考えているか隠しているか判らない風なので尚更だった。 返事の種類は大分してふたつ。即ち、確信しているはずの表か、妙な周期で気まぐれに訪れる裏か。

「聞いて驚け、高層ビルの窓だ。」
「へ〜…………って、大変じゃん!」
「もし今日、」
「うん?」
「俺が突風にあおられてビルから落っこちて死んだら。」
「…………。」
「その時はお前にこの家ん中のもん全部やろうか、買い置きのカップ麺とか。」
「うっわ食いきれなさそう。」
「ありがたく貰っておけ。」

春の強風に吹かれて死ねるんならよっぽどいいと言った。それから笑って、待っててくれるか?って言って眉を寄せる。じょーだん、

「もし今日アンタが死んだらさ、」
「そーだな。リエっこの文化祭のポスター貼り、お前やってくれ。頼まれてんだ。」
「うん。」
「あと、テレビ横の棚二段目の奥に、」
「AV。」
「…入ってっから、MZDにでもやっていい。処分。」
「うん。」
「パキラに水、やっといてくれな。世話できる奴探して渡して。」
「了―解。」
「そんで、」
食卓に肘をついて頬杖で口元を覆った。
「     」

 日も当たらない可哀想な枝を折って、KKを事故らせるだなんて、そんなことになるなら都会の春の嵐は残酷だ。 例えば待ち合わせに相手が来なければ帰るなり迎えに行くなり次の行動に移ってしまう俺達は二人とも、 立ち尽くして立ち尽くして呆然と待っていることなんて、決してできない。そんな勇気は持ち合わせていない。 そんなお互いだからこそ認め合っていられるのだ。

「判ってるよ。全部、綺麗さっぱり、」

忘れてやるよ。

 そう、例えば昨日の夜のことも目覚めた時の安堵感とか、毛布の中で聞いた風の音とか、声も、背中も、 ボサボサの髪も不精な髭も餓鬼みたいな笑顔も、今日の卵がスクランブルエッグだったことも。 過ごしやすい季節が来るとすっかり忘れられる冷たく乾いた冬の寒さみたいに、轟々と唸る春の嵐に飛ばされて。

嗚呼、只の笑い話の筈だったのに、カプチーノがすっかり冷めていた。




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春の、凄く風が強い日に書き始めて、纏まったのは夏でした。センチでごめん。
0608??



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