君の香りが残っていたから

 掃いても掃いても降ってくる枯葉にうんざりしていた頃までは覚えている。 季節がいつの間にか秋から冬に移っていて、気が付けばイルミネーションが街々を彩っていた。 日を追うごとに増していく忙しさの中、城へ寄っても自宅へ寄ってもタッチ&ゴーといった感じで、 まったくもって不覚としか言い様もないが、そんなこと考えている余裕も無かったというのが正直なところだった。 はた、と気付かされて指折り数えてみたところ、かれこれ1週間と数日ロクに顔も見ていなければ、 きちんとした会話をしたのは2週間前、しかも内容は思い切り仕事の話で、 その手の触れ合いといったら曜日は裕に3周していた。
 正確に数えてみると25日もの間、アッシュはそれはそれは清い生活を送っていたことになる。

「ユーリっ」
 自室ベッドの残り香に気付いて慌てて城主の部屋へ駆け込むと、ガランとして暗く冷たい空間に迎えられた。 堅い床に開けっ放しの窓から月明かりだけが静かにおちていた。ふらふらと部屋に足を踏み入れると、風に揺れるカーテンを見つめた。 窓を閉めようとそれに触れる。ふと、白い月光に青い、足が映し出された。
「うわ、っス、スマ!」
「ヒッヒッヒッ…見つかっちゃった…。」
「な、いるなら声かけて下さいよっ、」
「びっくりしたのはこっちだよぅ。血相変えてどーしたノ?今夜はユーリ、帰って来ないヨ? 君だって晩ご飯2人分しか作らなかったじゃない。」
「あ…イヤ…。ちょっと……ハハハハ…。」

「ヤレヤレ久しぶりだねぇ。」
「あ、うん。」
「寝ないの?」
「はぁ……。」
「あそ。何しに来たか知らないけれど〜僕はおいとましちゃうんだよね〜。ごゆっくり☆」
 現れた時と同じに何の脈絡もなく、透明人間は消えていった。 別にこれと言って用事があった訳ではない恋人の部屋に取り残され、暫し窓から一人月を眺めた。 虚しさと疲労のため息をついて、もう寝ようと閉めた窓に背を向けると、ベッドが目に入る。 吸い寄せられて吸い込まれて、惰性でそのまま横たわった。
 人のベッドに勝手に潜り込むなどというお行儀の悪い行為、普段の自分なら絶対にしないが。 これは恋人のベッドであって、自分は疲れていて、何よりとても、寂しいのだ。

 主のいないベッドに横たわると彼お気に入りのふわっふわの枕に顔を埋める。 体臭などほとんど無い彼の、その代わりと言える薔薇の香りが、微かにした。 アッシュは微かなその香りを一息嗅いで確かめる。そう、匂いがしたのだ、これと同じ。 ユーリの匂いが、アッシュのベッドから。

「なんで……?」
 もしかして、自分の不在時に貴方も俺の部屋に来たのでしょうか?そしてベッドに横たわって? ちょうど今の俺みたいに。
 そんな甘さを含んだ予想がもし本当だとしたら。
 想ってくれていることを死ぬ程嬉しいと思う、と同時に寂しい思いをさせて申し訳ないと思う。本当に。
「ねぇ、ユーリ…、」
 飽和した想いが口から零れた。小さく呟いたその呼び掛けに、答える人は勿論隣には居なくて。
「会いたいよ……。」
 ベッドの残り香に気付けない程狼男の鼻は鈍感ではないことくらい、ユーリは知っている筈。 にも関わらず甘い香りはアッシュのベッドに残っていて。 つまり気付いて欲しいと思ってやったことなのかそれともそんなことも忘れるくらい消耗してるのか。 どちらにせよ歓迎できることではない。
 嗚呼今すぐ抱き締めたい。 このあたたかなベッドを抜け出してさっき閉めたばかりの窓から飛び降りて月の力を借りて獣になって、駆けて行きたい。 抱き締めてその自分よりも低い体温を腕の中に閉じ込めて、向こうが何か言う前にわざと甘ったれたかすれ声で言うんだ、 貴方に会えなくて寂しかったです。 するとユーリは眉間にちょっと皺を寄せて、一週間前に会ったばかりだ馬鹿者、ときっと言うから、 一週間と二日ですよと訂正しよう。 それから人目を忍んでキスをして、照れ隠しに彼が探していたコートが見つかった話をしようか。 いつでも着られる状態にして、部屋のクローゼットの一番手前に引っ掛けておいたのに、って伝えなきゃ。 それからそれから……





















 魔物も眠くなる程深い夜、用意されたホテルに泊まってもよかったのが、 何故だかどうしても自分のベッドで眠りたくなってしまって。 1時間半程の距離を飛んで来た吸血鬼は、
「ただいま…。」
居候共が起きている時間にならば絶対口にしない挨拶で独り言を漏らすと、 自室の窓は閉まっていたので玄関ホールの窓から入って帰宅もとい、帰城した。 真直ぐ自室に向かうつもりが通り道だったのでうっかり家政婦犬の部屋へ寄ってしまい、 どれ間抜け面の寝顔だけでも拝むとするかと、覗いたベッドは空だった。 はて、と今夜の奴のスケジュールを思い出そうとするも、 己のそれすら把握しきれなさそうな現状に思い当たって考えるのを止めた。 ここで気を緩めるといかん、と昨夜の失敗を思い出して急いで部屋を後にした。
 既に月も沈みそうな時刻、明日(否、時間的には完全に今日だった)も早いのだ。 犬が何処で何をしていようと、今は知ったこっちゃない。

 と、思って辿り着いた自分の部屋で、主人のベッドを占拠する犬を見つける。 ユーリは脱力して、顔を手で覆って苦笑すると欠伸をひとつ。思考に蓋をしてとにかくベッドに潜り込んだ。

 3秒で訪れた眠りの淵で、懐かしくも思える恋人の匂いを安心と共に吸い込んだ。
 翌朝、たった数時間の添い寝を終えて早朝に犬が目覚めると、一人寝が寂しくなったらいつでも言いなネ、 と言い損ねていた透明人間までもが、一緒に布団にくるまって穏やかに寝息をたてていたという。



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書き始めた時→2006年クリスマス前の晩秋
加筆修正して完成した日→2007年5月14日
更に加筆修正してTextに上げた日→2007年9月15日

すっかり季節が巡ってしまった…。残り香ってそれだけでスケベでいいよね。アスユリーアスユリー(呪文)。



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