「ユーリ?そろそろ歌詞入れないと、時間無くなっちまうッスよ?」
そよ、と夜風がユーリの髪をさらう。 さらりと前髪が流れて、普段は隠されている額があらわになると、秀麗な顔にも微かな幼さが表れてアッシュは和む。 ユーリが起きている時にこんなにも間近で凝視しようものならたちまち無粋だのウザイだの犬臭いだの、悪口の餌食となってしまうだろう。 珍しいものを見られて得をした気分だったが、それでもアッシュはユーリの寝顔を長く眺めているのは好きではなかったし、 今は時間的余裕も無かった。 「ユーリ、起きて下さいユーリ。」 先程より少し大きな声で呼びかける。 起きたら起きたで、吐く言葉はちっとも可愛くなくて、仕事中など手厳しい以外の何物でもなくて、腹の立つことばかりなのは判っていたけれど。 寝ている間はキスをしても何をしても隙だらけで、鈍い反応しか返してこなくて、 アッシュは好き放題攻め入ることが出来てかなりオイシイ思いもできるのだけれど。(もっとも後が恐いのだが)。 それでもアッシュはユーリの寝顔を長いこと眺めているのは、あまり好きではなかった。 「むぅ…うー……」 起きそうな気配を見せたユーリはゴロリと寝返りをうって、寝そべっているソファの背もたれの方へ顔を背けた。 数十分前にアッシュがかけた毛布をモソモソと肩に掛け直して、再び寝息をたて始めた。 「んもーユーリーーぃ…」 アッシュは小さくため息をついて、ふわふわと風を送る窓を閉めに行った。 ファンの目が無ければ皺の刻まれていることの多い不機嫌な眉間も今は穏やかだが。 長い睫毛はアッシュを煽るかのように伏せられていてうっとりしてしまうのだが。アッシュの使命は、ユーリを起こすことだったから。 「…起きてユーリ。」 どんなに寝汚い者にも寝覚めを穏やかに迎える権利はあるだろうと、そっと驚かさないように、肩を揺する。 「起きないと……キスしちゃうッスよー。」 睫毛の一本一本が数えられる程間近に顔を寄せる。 ソファに沈みこんでいる唇に無理な姿勢で軽く口付けて、チュ、と音をたてて離す。 暫しの停止。後に先程より大きなため息。ずるずるとユーリの足元、ソファの前に座りこんでもたれかかる。 こった首をほぐすように仰向ければ、ユーリの脚が作る毛布のふくらみに、枕のように支えられた。 一週間あまり寝ていなかったし、確かにここまで寝入ってしまうのも仕方ない。 アッシュも共に城に詰めていたので、気を抜いたら寝てしまいそうだった。 「ユーリは起きた?」 「お手上げッスー…。」 薄く開いた扉の隙間から、ヒョコリと顔を出したスマイルが、 「僕、外で体操してクルねぇ…ヒッヒッ」 目を擦りながらベースの代わりにカセットプレイヤーを抱えていた。 「君もする?ギャンZ体操。」 「いや…。」 アッシュは、今のキス見られたかなーとぼんやり考えながら答えた。彼の頭も大分緩くなっている。 「ねぇアッシュ君、」 「…何スか?」 「ここは随分静かなのだねぇ。」 「そうッスね。」 「僕が体操終えるまでに、」 「はいッス。」 「起こしておいてよねぇ。」 「了解ッス。」 スマイルは顔を出した時と同じように、音をたてずにフラリと出て行った。 さて、どうしよう。スマイルに励まされたので思考回路を奮い立たせ、アッシュは身体をソファの方へ向けた。 どう起こしてやろうか。不穏な企みの空気を一瞬漂わせて、再びユーリに顔を近づけた。 「ユーリ…。」 起きて。 少し尖った耳へ、そっと囁く。 指先でそっとそっと、顔の輪郭をなでる。風で乱れた前髪を元にもどして、さらりさらりと流れる髪も撫でる。 静かな寝息と低い体温を感じながら、アッシュはユーリの名を何度も囁いた。 それに飽きると耳を少しひっぱったり軽く噛み付いてみたりした。 それでも起きそうにないので頬やら鼻やらをつまんでみたが、まるで止まった蚊を払うかのようにパシンと叩かれ、いよいよまともな術がなくなった。 毛布を無造作にばさりと落として、狭いソファに何とか足場を確保するとユーリの上に覆いかぶさるように乗った。 もう一度頬に手を添えて、 「起きないアンタが悪いんスよ…。」 最後に囁くとバクバク言っている自分の心臓の音を聞きながら、何も知らず平和に寝息をたてる唇へパクリと噛み付こうと… ピーロロピロロピロロローロー♪ ピーロロピロロピロロローロー♪ ピーロロピロロピロロローロー♪ 顔を間近にしていたので、長い睫毛がたてたバチリという音がはっきり聞こえた。 「くらーいあーう、こーのばっしょでー♪」 「ぎゃあああああ!!」 三流ホラー映画のように真紅の瞳がカッと見開き、ユーリが身を起こす。アッシュはそれを避けるように飛びのいた。 カチカチ。 ユーリは懐から金色の懐中時計を取り出し、円盤からはみ出た幾つかの突起を適当に押していく。 どれかが当たりだったらしく、ピロピロという電子音(着メロのように聞こえたが…)が、止まる。 「な…何スかそれ…。」 「ん…?懐中時計に見えないか?」 寝起き独特のぼやけた声でユーリが言う。 「え、今の着メロみたいのは一体…。」 「面白いだろう、懐中時計型携帯電話だ。着メロをダウンロードしてアラームにすることもできるんだぞう。 この、安っぽい音と外見とのギャップが何とも言えず私の目を覚ますのだ。」 「へー面白…あ、ホントだ普通の懐中時計より重いッス。アンタ相変わらず変わったもん好きッスねぇ…。」 流行に敏感なのか鈍いのか、吸血鬼の独特の(もしくは偏った)価値観に対し間抜けなコメントをするも、 急にユーリがソファの上から見上げてくるものだから、アッシュは未だ激しい脈を何とか落ち着かせながら時計を返した。 「それで?貴様はそこで何をしていた。」 「ユーリを起こそうとしてたんスよ!」 「ほ〜ぅ?人の寝顔をジロジロと眺めまわしていた訳か。」 「だって全然起きないし!そんな、アラームかけてたなんて知らなかったからっ!!」 吸血鬼はフン、と鼻をならす。 「…キスくらいはしたな?」 「え、っ!?」 いきなり図星を指され、アッシュの心臓が跳ね上がる。 「とぼけても無駄だ。無防備な私に貴様が何もしない筈は無いからな。」 上目遣いのまま、探るように吸血鬼は自分の唇をぺろりと舐めた。 瞬間見えた赤い舌の、柔らかさを思い出してアッシュは思わず目を逸らす。 「まぁ、とにかく!起きてくれてよかったッス!!おはようございますッス!!ほ、ホラ時間無くなっちまうッスよユーリ。」 「まったく…寝込みを襲うなど、悪趣味極まりないな。何故起きている時にもっと大胆になれんのだ。仕様のない奴め。」 「そりゃぁ…ユーリが恐……いえその、嫌がったりするからじゃねぇッスか…。」 ユーリの重い瞼はまだ眠そうで、半目のまま睨みつけるものだから実際恐くて仕方なかった。 アッシュの声は段々小さくなり、語尾は情けなく消えてゆく。自分でも、寝ているところに何かするというのはフェアでないと判っていた。 「大人しいのがお望みなら他をあたるんだな。それとも私がずっと眠っていれば満足か?ん?」 それが寝起きの機嫌の悪さと寝込みを勝手に襲われたことが相まって、自分を諭すために出た言葉だとしても。 「んなわけねえっしょう!!」 声を荒げずにはいられなかった。 「馬鹿にしてんスか!?だって…! だって、ユーリ寝てる時綺麗すぎて人形みたいで、何か時々このまま起きてこないんじゃないかって思うんスもん! 只でさえ、ユーリは吸血鬼で、永いこと眠って起きてこないかもみたいなこと、普段からほのめかされてんのに! だから、心配んなって不安になったりして、ちょっと悪戯したくなったり…するんスよ…そりゃズルいかもしんないけど…けどさ。 俺は、例えどんなに口が悪くてもいぬいぬ言われても起きてて欲しいって思うから、 だから起こしたくなるっていうか、……起こします、絶対に、俺が。」 はぁ、っと一気にまくしたてて言いたいことを言い切ってから息を継ぐ。 直後に子供じみたことを正直に言いすぎたと恥じらいと後悔の欠片がちらりと心にのぞいた。 が、それも飲み込んでしまって、形の見えなかった不安に言葉を与えたことに少しすっきりとした気持ちさえ浮かんだ。 「やはりマゾヒストだったか貴様。変態をバンドメンバーにしておくわけにはいかんな。」 「な…っなんでそうなるんスかぁあ!!アンタ人の話ちゃんと聞いてました!?俺の魂の叫びを!!」 「つまり私が起きていて貴様に悪口雑言たれないと落ち着かないのだろう?多少なりともその気があるということを認めろ。」 「なんでそうなるッスかぁぁ…。もーいーッス…俺が馬鹿でした…。」 しゅん、と犬耳と共に頭垂れて、長々とした諦めのため息をつく。 目を閉じた愚か者は終に恋人の笑顔に気付かなかった。 ソファに座ったままの吸血鬼は眉を微妙に顰めてから、深緑へと腕を伸ばす。 突然髪に触れられたことに驚いて、アッシュが閉じていた目を開けると、焦点も合わない程の所にユーリの顔。 ふ、と笑いに零れる息が上唇のあたりにかかって訳も判らず更に目を見開いた時にはもう、深く深いキスを仕掛けられていた。 「っ…は!」 「…貴様の考えていることなどお見通しだ。」 「あ、あんま煽らんで下さいよ。只でさえこちとら眠気で理性吹っ飛びそうなのに!!」 ゼエハアとようやく開放された顔を赤くしながら、舌の上に残る甘さも振り切るようにアッシュは手の甲で乱暴に口元をぬぐった。 「私はわざわざ起こしにきた賢い犬にご褒美を与えたまでだ。よーしよし。」 「犬じゃねーって何度言えば判ってくれるんスかあああっ!!大体、俺の考えてること、ホントに判ってます!?」 「当たり前だ、」 「じゃー当ててみてよ。」 瞬間の攻防、勝つのはいつでもご主人様と決まっていた。 「……「寝起きのユーリにとっても美味い珈琲を淹れてあげるッスー」。」 「ちっがーーう!!!俺は…っ俺はーーー!!!」 「珈琲。」 「……はいッス。」 すごすごとキッチンへと立ち去るしかない犬の後姿で、寝起きの攻防は完全に終了した。 ユーリが大きく伸びをして、仕事の続きだ、と呟いたことでアッシュの大きな使命も果たされてゆく。 油断大敵を狙ってしつこく掠め取ろうとしたキスは、ギャンZ体操を終えて戻って来た透明人間に横から掻っ攫われてしまって、 寝不足気味の妖怪は今夜も珈琲と絶え間無い会話を武器に、大騒ぎしながら仕事をこなす。 不眠夜は、まだまだ長い。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 早目に決着つけるつもりが、長くなっちゃった…。 読みにくかったらすみません。 そしてこれは果たして表に置いてもよいレベルなのか微妙に悩んでいます…。えーと…(汗)。 05.06.09 |