■月とココア■


 手袋の中の手までもかじかむ程寒いのに、吐く息は白くならない。 乾燥した空気が横たわる都会の空に、見ているだけで耳が痛くなってきそうな冴えた月。底冷えという言葉がぴったりの今夜。 そんな夜に誰も居ない公園の、ブランコを揺らす酔狂が二人。 キィキィという一定の、静かな音の中で繰り返し繰り返し、小さなことを話しては笑っていた。

「月きれいー。」
「満月か?」
「そーじゃない?丸いもん。」
「…ちょっと欠けてねえ?」
「あ、やだなー、酔いが目にキたんじゃないのー?」
「んなことねぇよ、欠けてるって絶対。」

 アルコールで火照った身体も、コートの中までじんじんと染み入る冷気にすっかり冷えた。 動けばましになるだろうかと、ふらつく足でブランコの板の上に立つとマコトはゆっくり漕ぎ出した。 少し力を入れれば遊具は簡単に、身体を空へと運んでくれる。 徐々に近くなっていく月の光と、耳元でゴウゴウ鳴る風が気持ち良かった。 下界では足をつけて鎖にもたれかかったまま微かに揺れているKKが、寒ぃと呟いていた。
 そのうちに鎖を握る手も感覚が無くなって、マコトはフワリと飛んで降りた。 着地には何とか成功したもののやはり足がもつれて、前方の手すりに手をつく。 ざざっと足元の砂利が鳴る。月の光に照らされて地面の小石のひとつひとつまで、淡く発光していた。 無言のままKKの正面に寄ると、温もりを求めるように顔を向けられたので手袋のままの手で頬を包んだ。 やはりKKも、酔い覚ましを通り越して冷え切っていた。

「寒いね。」
言うと、肯定を表す沈黙が返って来た。
「帰ろうか。」
今度は否定を表す沈黙が返された。
「マコト、」
「ん?」
相変わらずKKはブランコに座って、だるそうに鎖にもたれて小さく揺れていた。 きっとまだ楽しんでいるのだろう。ちら、とKKの視線がずっと横の方にずれて、マコトの正面へ返ってくる。曰く、
「あれ、飲みたくねえ?」

 あれ、と示された方向にあった自動販売機の前でマコトは財布を取り出す。ざっと眺めて後方に声をかける。
「K、何がいいのー?」
相変わらずKKはブランコに座ったまま、今度はぼんやりと月を眺めて、まだあれが満月かそうでないのか考えてでもいるのか。
「甘いやつー。ミルクティとか。」
アンタさっきあんだけ飲んだ後に甘い物チョイスなんですか。 ここでマコトがおしるこドリンクを買って戻っても、KKならすんなり飲みそうである。
 二段目の左から二番目の、その黒い缶を見て苦笑して、ミルクティのペットボトル下のボタンを押そうとした時に、一番左端にあったココアに気付いて手が止まる。 ああ、と思いそれを買った。 自分には自販機で売っているものの中で一番マシだと思うコーヒー。 二つの熱源を持ってマコトはブランコへと戻った。温かさが身体や心の様々なところに染みていく。

 缶を渡す動作と共に、ブランコに座っているKKへ身体を傾けてキスをした。 KKの手の中にしっかりとココアを残すと、元の隣のブランコへ座りうっとり笑っていた。KKは不思議そうな顔をして、
「何、」
と訝しんだ。マコトは微笑んだまま、
「ん?」
わざと判らないフリをする。
「今の、キス。」
「別に、したかったからしただけ。」
「へぇ…・…。」
会話はそこでフツリと途切れてしまった。
 店を出てから今までの中で一番長い沈黙が訪れ、二人はしんしんと降る月の光を浴びていた。 KKがカシュッという聞きなれた音をたててココアの缶を開けた時に、マコトは一度だけKKを見たが、結局何も言わずに待つことにした。 それでもグビ、グビリ、と小さな缶の中身が熱と共に減っていって、マコトは静かに口を開いた。
「ココアってさ、カカオ豆を熔煎して皮むいてペースト状にしたカカオマスっていうのから、脂肪の一部を取り除いたものの事を言うんだよね。」
 半ば独り言に近い言葉が、KKに聞こえているのかは判らない。マコトは続ける。
「でさ、カカオマスに砂糖とかミルクとかカカオバターってのを加えて出来るのが、チョコレート。」
「知ってる。」
KKは手袋越しにまだ温かいココアの缶を握っていた。
「でも、それが何だよ…?」
「つまり、原料は同じってこと。」
判ったのか判らないのか、KKはまたグビ、とココアを一口飲んだ。駄目だこの酔っ払い。 マコトは諦めることにした。けれども、もう少しだけこうしていようと思った。

甘いココアの缶と、一番マシだと思うコーヒーが、寒空の下愛し合う。





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06.02.05(に書いたものを時効ということでupしてみた)
以前出したバレンタイン小説本の、3本のうち1つ。
お話が3つあったのでミルク・ブラック・ビターに役割分担したうち、これは糖度真ん中のブラック。
2006年の2月14日は本当に満月だったんです。あと、火曜日(美容院の定休日)だった。


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