DESIRE FOR CHOCOLATE FROM HIM



欲しい欲しいと泣くだけだった子供時代には、戻れない。
だってもう、立派に楽しく仕事をして生活費を稼いで、
向上心と自制心と、
その他諸々自分の面倒を自分で見ることができる大人だから。









 自炊ができる、というスキルはアッシュをよく助けている。

 もちろん料理人を目指す者として当たり前の能力ではあるが、ではなく、普段の生活においてさえ。 これからも自分にとって絶対に失くせないスキルだと、寒さにちっとも歯止めがきかないその年の1月アッシュは痛感した。
 車だとか賃貸契約の更新だとか、先月使いすぎた携帯代だとか親戚の祝い事だとか、計ったようなタイミングで壊れたエアコンだとか、 地球の、現代日本で暮らす若者には、避けられない支払いが運悪く重なって数年に一度、一時的に金が無くなる時もある。
 一応アッシュの、ひいては彼が所属するあのヴィジュアルバンドの名誉のために言っておこう、金が無い訳ではない、と。 あくまで「一時的に」預金が底を尽きそうなだけで、もともと無駄遣いもしない堅実な性質なのですぐに何とでもなりそうな範囲であるし、 勿論借金もしなくて済みそうだ。
 だが、地元の王国で暮らすならまだしも地球の日本は値上げのご時勢。 茶飲み友達であるカリスマ美容師と先日交わした会話の中で、自炊できるだけ安上がりだね、と言われ。 もう随分長い間自分のものだった能力が、急にありがたいものに感じたのだった。 安値で、尚且つ栄養価を失わない様いつも以上に食材を厳選し、食費を切り詰めて魔の1月を遣り過ごした。









「え、お前さん何もやんねーの!?」

 ラヴ&ピースがモットーの知人は叫んだ。 城主と、勝手に押しかけて来たその客人しかいないユーリ城の応接間で、声は意外なほどよく響いた。ユーリは眉間に皺を寄せて言う。
「何故、私が犬のためにチョコなぞ用意せねばならんのだ。」
「うっわヒデー!」
MZDは、飲んでいた紅茶から顔を上げてしかめっ面をユーリに向ける。トレードマークのサングラスがキラリと光った。
「余計な世話だ。」
「いやいやいや、愛の伝道師として言わせてもらうけどよ。おま、それ可哀相だろ相手が。」
「可哀相?」
「そりゃーお前さんが誰かに何かやるってのは確かにキャラじゃねーかもしれねーけどよぉ、つきあってンだろ?お前ら…。」
「……片思いの相手にチョコを贈って告白する日じゃないのか。」
「別に片思いに限らねーぞ?むしろ両思いの奴らこそ大事にすべきイベントだと思うぜ。 脱マンネリズム!この機会に再び熱い愛を確認しあうのよ!いいじゃねえか楽しめば。」
「奴は楽しむと思うぞ、今年も城のキッチンにこもるだろうからな。」
「おー楽しみだな!俺様にも寄越せって言ってくれ!ってそうじゃねーYO!お前さんはやんねーのかって話だ。」
「やらん。」
「じゃ、ホワイトデーに返すのか?」
「返さん。」
「普通、お前さんの方からやるだろ!夜の役割考えると!男だったら誰だって欲しいモンなんだ!っつか、貰ってばかりでいいと思うな吸血鬼?」
「五月蝿い。」
「相っ変わらずだなーお前ら。いくらアッシュが料理好きで、超が付く程お人好しでも、愛想尽かされるぜそんなんじゃ!」
「…………。」
「俺様だったらぜってー悲しいな〜。」
「…………。」

 あまりに当たり前のことのように言い切られた「愛想尽かされる」の言葉に、ユーリは言い知れないショックを覚えた。  押し黙るユーリの強張った顔を見て、神は慌てて紅茶を飲んで間をおいた。ズズ、と間抜けな音が応接間に響く。
「楽しみじゃねぇの?バレンタイン。」
「別に。…まぁ、奴のチョコは確かに楽しみだがな。」
「そうだろー?やっぱ、男だったら少なからず期待するだろ?ましてや、アッシュだ。 ベッタベタなの好きそうじゃねぇか。お前さんが、んな性格だから諦めてるだけで、ぜってー待ってると思うぜ?」
そう思わねぇ?とMZDはサングラス越しにユーリを見つめる。ユーリは眉間に皺を寄せたまま睨み返した。

「今年はお前さんが作ってやれば?」

ニヤニヤと笑いを浮かべてMZDは言った。目の前の紅茶を一口飲んで、ユーリは静かに口を開く。
「…この世には適材適所という言葉がある。人には向き不向きというものがある。 料理を作るのも食べてもらうのも好きな者がいれば、逆に作るのも面倒くさいし食べてもらっても別に嬉しくないと感じる者がいる。そうやって均衡を、」
「そういう奴が頑張って作るから、価値が生まれるんじゃねぇか。」
「……大して上手くもないものを渡されても微妙な気持ちになるだけだと思うが。」
「んなことねーって!どんなんでも絶対嬉しいって!」
むぅ…、とユーリは唸った。MZDはくすくす笑いながら紅茶を飲み干して (そういえばこの紅茶もMZDが影の力で勝手に用意したものだった。客人に茶も淹れないとは、余程この手のことは苦手と見える)、立ち上がった。

「ま、アッシュを喜ばせられるかどうかはお前さん次第ってことだ。」
やるんなら頑張れよ、吸血鬼。そう言葉を残して、訪れた時と同じように唐突に、MZDは消えて行った。
 応接間には、唸ったままの表情で虚空を睨みつける、城主だけが残された。


>>NEXT




Textに戻る
Topに戻る