笑顔が泣く話 ******************************************* 仕事で遠出していたユーリが今日帰って来る。アッシュは城を訪れた。 主が1週間も留守にするなどという珍しい事態に戸惑ったのか、見上げた城はいつもに増して静かだった。 「寂しかったのかな…」 無駄に長い庭の石畳を歩きながら呟いた。 毎日のように泊まり込んでいたアッシュも、最後にここへ来たのは掃除をしに来た4日前だ。 「お邪魔します…。」 まだ、ただいまと言ってこの城に入ったことはない。手をかけたら正面玄関は勝手に開いた。この城は人を選ぶ。 ギギギ…。古びた音がした。 「スマぁ…?いないんスかー…?」 ホールに足を踏み入れて、城の居候に向かって声をかけた。返事は無い。 「まだ戻ってないのか…。」 1週間前、ユーリが出発した後でスマイルは不意にいなくなっていた。 4日前アッシュが来た時も帰った形跡はなかったから、あまり期待はしていなかったが。 やはり城は静まり返っている。静寂に耳が痛かった。 「どこ行っちゃったんだろ…。」 元から自由気ままな透明人間のこと。 突然いなくなるなど日常茶飯事なのだが、彼のギターと愛用の鞄が一緒に無くなっているのが気になった。 しかし優秀な家政夫であるドラムス犬は、 「とりあえず…掃除でもしますか…。」 独りごちて家事に取り掛かかるしかなかった。 主のご帰還までに空気の入れ替えから夕飯の支度まで、済ませなければならない事が沢山あるのだ。 明るいダイニングに、風がひとふさ吹き抜けた。 濃い緑の髪が翻り、滅多に見られない彼の目を晒す。もっともそれは、穏やかに閉ざされていたが。 フワリと漂う空気の塊が、額に残った髪を流してサラサラ遊ぶ。 ダイニングテーブルに突っ伏したアッシュの、向かいの席がひとりでに引かれた。 コトリ。 嘘のような静けさと優しさ。 サラサラ、サラサラ、通り過ぎる時間が音をたてているようで。 スマイルは相手が寝ているのをいいことに、アッシュの素顔を思う存分楽しんだ。 前髪を除けると、思うより幼い顔と表情が覗き放題だ。 小1時間も、ただそうして見つめていたろうか。 「ぶぇっくし!!」 「風邪ひくよー…。」 「っあー…うー…?あ、スマ。お帰りッス」 寝ぼけ気味の掠れた声は、とてもセクシーで。 「何してたの?」 僕のことほったらかしてさ。 「は…新作のレシピ、溜ってたんで書き出してたんスけど。寝ちゃったみたいッス…あー紙が…」 まだ覚醒しきってない彼から、望む答えは返ってこなかった。 狼男はもう一度あーと唸って、下敷きになって皺の入った紙片を捨てた。 「…スマイル、腹減ってねッスか?昼は。」 まだ寝ぼけているのかな、まず、何処へ行っていたか聞かれると思った。 「食べて来ちゃった〜ゴメンネ☆」 名の通りの笑顔で答えた。 僕はホントはさ、昨日の夜アッシュ君の作ったカレーが食べたかったんだけどな。やっぱりユーリがいないのは嫌だなぁ。 「や、まだ作ってなかったんで。…ユーリ、遅くなるそうッスよ。…1週間も一体何処行ってたんです?」 今のは偶然?やだな顔に出てたかなぁ…。 「ン?何処行ってたと思う?ヒヒヒ…」 スマイルは質問に質問で返すことが多い。ずるいッスよ。 「1.王国内をブラブラ。2.王国の外をブラブラ。3.ユーリの後をつけた。4.そして君の知らない所で二人きり。ヒヒヒ…5.その他。」 「………5。」 「どして?」 「…………………勘。」 相手の目を見る。ユーリと違ってスマイルは小さくないから、覗き込むようにはならない。 目は逸らさなかったが、スマイルは笑った。 「…ね、アッシュ君この後ヒマ?」 はぐらかすってことは、当たりだったのかなもしかして。道化の心の内も大分読めるようになってきた、とアッシュは思う。 「暇じゃねッスよ。何スか?」 「抱き枕になってよぅ。いい天気だし〜…わっ!」 一陣の風が通り抜けた。スマイルのコートが翻る。 「…風は強いケド。ヒヒヒ。」 「あ。あーっ!!!洗濯物がぁ!!!」 きちんと留まっていなかったのか、1枚のシャツが窓の外をヒラヒラ飛んでいた。 「ユーリのシャツ!!ばれたら殺されるッスー!!」 窓に駆け寄る犬。 「忙しそうだネ☆じゃあさ僕は用事が全部終わるまでリビングで待ってるネ。眠いんだから急いでよ?」 「何言ってるんスかもー!!」 シャツを拾いに行くべく家政夫犬はダイニングを駆け出した。 「…あ。スマ!たまにはアンタも部屋の掃除を、」 振り返ったそこにスマイルはいなかった。 「え…スマイル…?」 突然、その他という選択肢の内容が思い浮かぶ。 ブラブラしてたのでも、ユーリについて行ったのでもないとしたら、それは…。 アッシュ君が急に振り返るもんだから、姿を現すのが間に合わなかったジャン。 仕方ない、ユーリのシャツでも拾いに行こうっと。 しきりに鼻をひくつかせる犬の横をこっそり通り過ぎた。 「…っ、そこッス!!」 「ひゃっ…ウヒッヒッヒッヒッヒッ!!」 捕まったのか捕まえたのか、匂いと気配だけを頼りに透明な透明人間に手を伸ばした。 そうしなくてはいけない気がした。 「ヒッヒッヒッ…」 スマイルは笑った。アッシュの腕の中で。 「スマイル…泣いてるの?」 「どして?笑ってるデショ?」 アッシュは抱きとめた手を外してスマイルに向き合う。正面から肩に手をかける。 「笑ってる人が、いつも笑ってるとは限らないッス…。」 アイタ。 痛たたた…痛いよアッシュ君。 スマイルは笑った。 「ヒッヒッヒッ…ねぇ生きてるって楽しいねぇ。そう思わないかい?」 アッシュの手を濡らした水滴が、ポタリと床に落ちてすぐに消えた。 |