その花の前で心を開け放つと、魂を取り込まれ永遠に奪われてしまうそうだ。 1 ユーリ城の周りは広大な森だ。 針葉樹林、というに相応しい、それはそれは深い森である。 どのくらい深いか、というと城に住んで数年の狼男ですら、まだ行ったことのない場所が何箇所もある程なのだ。 さらに言うと森は、王国の中でも北に位置しているため、冬は長く、春の訪れは遅い。 5月初めの休日、買出しから帰る途中で獣道に入っていく城主の背中を認め、アッシュは声を掛けた。 「ユーリ!どこ行くんスか?」 「…散歩だ。」 晴れの日の昼間だとういうのに森の中は暗い。 周りの木々の葉も、緑というより黒に近い色をしている。 お陰で、日だまりに立っているアッシュから、ユーリの顔色は知れなかった。 まあ、そうでもないと日光が嫌いな吸血鬼が、昼間から出歩くことなどありえないのだけれど。 俺も行くッス、と言いかけて口を閉じた。 城主はじっと、家政婦犬の抱える荷物を見て、薄く笑みを浮かべた。 さっと身を翻すとそのまま森の奥へと行ってしまった。 「食料、仕舞ったら追いかけようかな…。」 とぼとぼと、耳を垂らしながら城へと再び歩を進めた。 新鮮な卵も野菜も、たんまりと買い込んでしまったので、このまま気儘な散歩について行くという訳にもいかず。 「あれ。」 今度は城門から出てくるスマイルを見つけた。 「スマもどっか行くんスか?」 「あ、アッシュ君おかえり〜!」 「ただいまッス。」 アッシュは律儀に挨拶を返す。スニーカーを履いたスマイルの足元に気付いて、どこ行くんスか、と尋ねた。 「散歩だよ散歩ぉ〜ヒッヒ…。」 意味深に笑いながらスマイルは森を見つめた。今しがた、ユーリが消えていった森を。 「もしかして、ユーリを追いかけるんスか?」 「そうかもしれないし〜違うかもしれないネ〜。」 「……ストーカーは犯罪ッス。」 「ヒッヒッヒ!今回は、目的地は一緒だけどぉ、行き方は違うんじゃナイかな〜?」 「?もうちょっと詳しく説明して欲しいッス。」 「イヒヒヒヒヒヒ」 スマイルは、可笑しくて仕方ないといった風に笑った。そして、人差し指をアッシュの鼻先に突きつけて言うのだ。 「説明しよう!」 アッシュの鼻先で、スマイルの人差し指は愉快そうに揺れる。 まるで指揮者のように。こういう時の彼は、誰よりも意地が悪くて、楽しそうだ。 「この森にはネェ〜春になると不思議な花を咲かす木があるんだヨォ〜。」 「はな。」 「そう、お花。毎年花を咲かす訳じゃ無いんだけどネェ〜。」 「ユーリが、その花を見に?」 「そう!ケド、どこにその木が現れるかは、分からナイナイ♪」 「え?」 「メルヘンな存在だからネェ〜。だから目的地は一緒だけど、行き方はそれぞれなのサ。 さ、分かったら僕もう行くヨ。ユーリとどっちが先に見つけられるか、勝負してるんだ。」 そんな素敵な話なら、自分も誘ってくれればいいのに。疎外感を感じて、瞬時に言った。 「俺も、行くッス!」 「ちっちっち、甘いなアッシュ君。こういうの、何て言うかシってる〜?」 「は?」 「『お花見』デショ♪大丈夫、アッシュ君ならお茶とお菓子を用意してからでも追いつけるヨ。 君が本当に狼男なら、ネv」 じゃあ、グッドラック〜!などと言って、片方の手袋だけが空間に残りヒラヒラと手を振ってくれた。 やがてそれも5月の緑に溶けて消えた。 「ちょ、待ってスマ!どんな花……っあーもー!」 伸ばした手は当然のように空を切った。取り残された狼男は、バリバリと音をたてて頭をかいた。 「……そういうことは、もうちょっと早く言ってくれッス。」 ブツブツと文句を言う声が、虚しく響いた。次いで、ため息も。 これから彼は全速力でお茶とお菓子を用意して、名前も知らない花を探しに行くのだ。 |