「えー?じゃあ、名前呼ばれるまで目が覚めないんスか?」
「そうだ。」
そんなまさかー、アッシュは笑ってサンドイッチを頬張った。答えたユーリも紅茶を啜る。 木の根元に広げたシートの上には、アッシュが用意したアフターヌーンティーが所狭しと並んでいた。

「ホントだよー?アッシュ君、どんなにゆすっても起きなかったもん。ユーリに拳骨で殴られたんダヨ?」
頭痛くない?問われてアッシュは頭をさする。道理で目が覚めてから妙に痛いはずだ。
「う……。でも俺には凄く綺麗な花に見えるッスけど。夢の世界に取り込まれたまま戻って来れないなんて……。」
「信じられない、か?」
ユーリに尋ねられ、ただ寝ていただけのアッシュは目を逸らして、満開の花を見上げた。
「実感わかねぇっつーか……。だってめっちゃ綺麗じゃねーッスか。俺、こんな綺麗な花初めて見たッス。」
「…………。」
どこかで聞いた台詞に、ティーカップの向こうでユーリは苦笑した。

「お前、『父ちゃんと母ちゃんと兄ちゃんと姉ちゃんとちっちゃい弟』がいて、 『森の奥にある一軒屋で暮らしてる』んだったな。」

「へ?」
唐突なユーリの台詞に、アッシュは固まる。
「なんで知って……。」

見つめ返す吸血鬼の目は、変わらず同じ赤だった。

「え、だって、あれ…夢……。ええ?」
俄かに慌てだした狼男を見て、吸血鬼は嘆息した。
「やはりあの子供はお前だったか。」
「ええ!?なんで!?だって、ええーーー!?」
「五月蝿い。」
ばしーっ!と頭をはたかれ、アッシュは地面にめり込んだ。

「ああーそゆこと。だからユーリってば、ちょっと寂しそうだったんだネ☆ヒッヒッヒッヒ!」
「喧しい。」
2人のやり取りを聞いて事情を悟ったスマイルが、ユーリの鉄拳をひらりとかわす。 そのままスタコラサッサと丘を降りて行った。
「そろそろ帰ろーヨ♪長居し過ぎるとアレでしょ?ヒッヒヒヒヒ!」

「…何スか?まだ何かあるんスか?」
鼻についた土をはらいながら、アッシュは尋ねた。ユーリはふ、と笑って答えた。
「貴様、本当に知らないのか?この花には様々ないわくがある。」
「どんな?」
「例えば、この木の下には死体が埋められている。」
「うぇっ!?」
ぎょっとしてアッシュはシートから跳びのいた。
「その生気を吸い取って咲くから、こんなにも美しい花が咲く、とか。」
「へ、へー……そうなんスかー……。」
 頬を引きつらせながら、アッシュはカップと皿を片付け、そわそわと水筒の蓋を閉めた。 ユーリがシートから退くと、それを畳むべく一度ばさりとはためかせる。薄桃色の花びらが何枚も舞った。
「…この花びらを地面に落ちる前に5枚捕まえると恋が叶う、とか。」
腕組をしたままユーリはアッシュを待っていた。
「おっ!そういうの良いッスね!夢があるッス!」
「可愛がっていた犬が焼け死んで、その灰を蒔いたらこの花が咲いて大儲け、という昔話もあったな。」
「あ、それは知ってるッス!『花咲かじいさん』っしょう?」
「……犬の話には詳しいのか。」
「犬じゃねえッス!」

 全てをバスケットに納めると、膝を払って立ち上がった。アッシュはバスケットを手にしたまま一度大きく伸びをした。 視界に写るのは薄青い空と、淡い色の花びらたち。
唐突に、儚いものが美しいのなら、俺は美しくなくたっていいやと思った。

「帰るぞ。」
「はいッス。」

「ネェネェ、ユーリ?」
「何だ。」
「アッシュ君に、この花の名前を教えてあげないの?」
丘を降りたところでスマイルが言う。3人は立ち止まって、満開の花の木を振り返った。

「名前って、サ」
「しーーーぃ!だめだめアッ君、」
透明人間は人差し指を唇にあてて、狼男の無粋を制す。
「答え合わせするなら、ロマンチックにサ、ね?ユーリ」
水を向けられた吸血鬼は頷くと、惜しむ気持ちで花を眺めた。

「…名前というのは、存在そのものだ。」
「はぁ。」
「何だその気の抜けた返事は。貴様それでも魔物か。メルヘン王国の住人なのか。」
非難の目を向けられ、アッシュは黙った。こほん、と咳払いをしてユーリは続ける。
「この木の下で眠ったものが、名前を呼ばれて意識を取り戻すように、この木にとっても名前は大切なものだ。」
つまり、名前を言うと、何かが起こるんだな。と、アッシュは理解した。
「一体……何が?」

「呼んでみろ、教えてやるから。」
ニヤリ、と笑った顔がとても楽しそうだった。

 ユーリはそっとアッシュの耳に顔を寄せる。アッシュにだけ聞き取れる小さな声でその名を囁いた。

「ユメミザクラ……?」

聞いた通りにぽそりと呟いた途端、音が消えたように思えた。
しかしそれは間違いで、実際には風が吹きぬけるような音とともに、 何千何万と咲いた花がいっせいに散っていくところだった。
アッシュはあっけにとられて、まばたきもできない。花はまるで洪水のように散っていく。
洪水の光が眩しくて、ユーリは目を細める。スマイルも黙って見つめていた。

一瞬で花は散った。













花びらを記念に持ち帰ろうとしたら、やめておけと言われた。
スマイルが「来年もまた3人で来ようねぇ」と言って笑った。
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12.06.28
岡田淳さんの『ユメミザクラの木の下で』に出てくる桜の設定をお借りして。
アッシュが加わって間もない頃かな。アスユリは出来上がってるっぽいですが;


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