春秋の争い

 出来立ての甘い菓子と、熱い紅茶をゆっくり嗜む時間が、どれだけの充足感と幸福を与えてくれるかを知っている。

 怒鳴られたまま一人残されたダイニングで、ユーリは腕組みをしたまま仁王立ちしていた。 もし、その場に第三者がいても、とても話しかけられないような、そんなオーラを纏っていた。 ユーリの馬鹿野郎とアッシュが叫んで飛び出して行ってから、眉間に皴を寄せたままずっと同じ姿勢で立ちつくしていた。 口論の終着点で、アッシュが飛び出して行かなかったら、ユーリが飛び出していただろう。 そしたら自室に篭ってフテ寝でも八つ当たりでもできたものを、完全にタイミングを逸してしまった。
 その姿勢のままでいると嫌でも不愉快なものが目に入る。 小さなボウルに入れられた甘い匂いのするクリームと、ドライフルーツと、オーブンの板とその横ののべ棒。 かけられていた赤のチェック柄の布巾と、自分が食べ散らかした狐色のクッキーの残り。 ユーリは眉間の皺を深くした。
 つい十分前までは作りかけのものでも充分満足していたのだが、言われてみると勿体無いことをした気になってくる。 完成するまで待っていれば、恐らくクッキーのサクッとした食感に、カスタードクリームのやわらかな甘さが舌の上でとろけたのだろう。 チョコレートクリームの微かな苦みに紅茶を飲めば、温かいミルクのまろやかさが口に広がったのだろう。 そして、それを見たあの男が満足そうな、むかつく程のだらしない笑顔を浮かべる。そういう時のアッシュは本当に幸せそうで。

正直、非があるのはこちら、と思わなくもない。
行儀が悪かったのも認めよう。

だが、この私がわざわざ謝ってやる程のことだろうか。ユーリは眉間の皺を深くした。

 大体、とユーリは考え出した。大体、自分は吸血鬼で奴は狼男、古来は吸血鬼に仕えていた種族で。 そんなカビ臭い主従関係なぞ持ち出したくもないが、年長者は敬うという奴が日頃掲げている常識とやらを捉えると、自分は遥かに年上なので。 充分敬い尊ぶに値するだろう。それに仕事では勿論、バンドリーダーということで自分の立場は上なのだ。 雇用条件はドラムスと料理だから、奴が食事を用意するのは業務上ごく当たり前のことであり、仕事において自分は云わば上司なのだ、上司。 日常から様々な言いつけをしても何ら引け目を覚えることは無い。 そんな相手に馬鹿野郎などと、言っているそっちが馬鹿野郎だと言ってやりたい。
 この私が食べてやっているのだからそれだけでも有難く名誉なことだと思っていればいいのだ。 もしアッシュの料理が不味かったのなら、再び包丁を持つことなど考えられない程精神的に再起不能にして、 ついでに慰謝料を請求して、速攻で追い出しているところだ。
第一、何もかも美味しすぎるから悪いのだ。

「………………。」

ユーリは、やはり眉間の皺を深くした。




◇◇◇


「素直に謝るとは思えないしなぁ…。」

「ホントにネェ……ヒヒッ…!」
 独り言に突然、宙から返事が降ってビクッと体を震わせると、傍らにあった空の缶コーヒーがふわりと浮いた。 見えない手に操られたそれは、勝手に逆さまになり「何だ、空かぁ…」と呟いた。引きつったような笑い声と共に、 驚かせることに成功して嬉しそうに笑う透明人間が姿を現した。 アッシュは、さっきテントウムシが突然飛び立った時に気付くべきだった、と悔しく思った。

「キスのひとつでもしてご機嫌とってやりなよぅ。」
「スマイル!」
「ヒヒッ…アッシュくんみぃつけた!……何してんのサ君ら。」
「…ホントに……なんでいつもこうなるんだか判んねぇッス。」
「ほらそれはだから、「喧嘩するほど仲がいい」ってやつデショ?ユーリだって判ってて食べたんだと思うよ、今回のはさ。 作りかけでも美味しそうだったから手が出ちゃったんダヨ。怒鳴られて、反省してるみたいだから許してあげれば?」
「…ッス。」
「頭冷えた?」
「まぁ…また作ればいいことッスから。」
「ヒヒッ…君もねぇ、「ユーリの馬鹿」はないんじゃない?」
「う…俺もそれはそう思うッス。」
「ちょっと途方に暮れてたよあの人。大事にしてあげてよ、僕らの歌姫をサ。」

 秋の風が、スマイルとアッシュの間を通り過ぎた。言い過ぎたとは思わないが、確かに暴言だった。 怒鳴った上に逃げ出したのも良くなかったかな、と思った。
「スマ、ありがとうッス。」
「お礼は夕飯の献立で示して欲しいナァ〜!」
「…そうはいかねえッス。」
「えーまたシチュー?カレーにしてヨ!」
「シチューは体もあったまるし具材の栄養まるまる摂取できるイイ料理、」
「ハイハイ建て前は聞き飽きたヨ〜だ。」

 アッシュはうんと力いっぱい伸びをした。背骨のあたりがみしみしと音をたててこれ以上反り返れない、と訴えた。そうして最後に大きく息を吐く。
「…急いだ方がいいと思うヨ。」
「そうッスね!」
仲直りをするなら、一刻も早い方が良いに決まっている。
「いや、そうでなくてサ。ユーリが、」
「?」
「残りのクッキー睨んだまま百面相してたヨ。」
「百面相…。」
暮れ始めた秋の空に向かって先程のアッシュを真似て伸びをしながら、スマイルは呑気な声を響かせる。
「ていうかね、何か、しようとしてたケド止めなくて平気?えーと、何だっけあの生地伸ばす木の棒。めん棒?だっけ? あれをさ、手にとって。アレきっと食べちゃった分をユーリなりに作り直そうとしてるんじゃないかなー…また台所爆発してたりして。ヒヒッ!」
「スマ!!!なんでそれを先に言ってくれねんスかぁああ!!」
「ヒッヒッヒ…ごめんごめん。」
「ぜってーわざとだ!そういうことは早く言ってくれッス!!俺、先に帰ります!」
うわーん俺のキッチン!!と、叫びながらアッシュは帰路を急いだ。
 駆け出したアッシュの後姿を笑いながら見送って、スマイルはこの呆れる程のバカップルのために、ゆっくり歩いて帰ることにした。






終わっとけ!
08.11.22.


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